2009年4月16日木曜日

参照可能性

☆のネットに於ける足跡を見ると、どうも参照可能性を高める為の書き込みが多く見受けられる。

しかし失敗が多い。

最大の理由は、☆の想定する同調され得るべき言論空間を、閲覧者が賛同してくれない事で主観的条件の成熟に齟齬が生じる為。

それから、語彙が極端に乏しい。語彙が乏しいから、頭の中で起った事を文章化する作業で語彙と感情のリンカージュがスムースに行かない。スムースに行かないから、感情の追体験を文章に置換する。だ、か、ら、長い文章とならざるを得ない。

論旨・構成等の必然性があって長文となるのではなく、☆の場合は他者へのアクセスとして文章を通じてネットワーキングの構築を試みるので、必要以上に感情を晒し、謂わば参照可能性を高める(通常のフェイスオンの人間関係では時間を共有する事に依って人と也が相互に共有される)為に独特の論法を用いるので長くなるのだ。

この事については幾らでも長い説明が可能なのだが、ということはそれだけ長い論の展開を以てしないと☆のテキストは公正にインタープリット出来ないという言い方も出来る訳で、従って私はこれから☆の事に関しては、特段の但し書きが必要な場合以外は簡潔に一番重要なポイントだけを述べる事にする。

☆のキャラクターについて様々考える事は面倒臭いのだ。駄々っ子の機嫌を窺う様なもどかしさがある。白々しい。

これっぱかりの言葉で用は足りるという事を心掛けたい。

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